同じ朝を迎えるということ
今日は借りてきて夜、母と観ました。1番好きな映画です。20歳の時、私も閉鎖病棟のパイプベッドの上にいました。初めての隔離病棟。ガリガリの拒食症かと思う女の子が音楽は好きですか?と話しかけられたのが始まりです。腕にはいっぱいリスカの跡があり、わぁー、同じですねとその子に言われました。あれが初めて話した精神疾患の女の子でした。名前は真理ちゃん。部屋でご題目を唱えていた(親が学会らしく)
そこで現実を知った私は、暴れました。筋肉注射も打たれて、わあわあ泣きましたが、それでもそこに居たくなくて。最初は3人部屋で、泣いている私にトイレしんしゃいとヘッドギアの鶴江さんに言われここかにいたら頭おかしくかなると思いました。てんかん持ちの鶴江さんにはヘッドギアがないとダメだということを後で知る。それでポータブルトイレを鶴江さんが使っていたたと言うわけです。でも夏場で臭くて臭くて、もう1人の青木さんはヒステリー持ち。嫌で嫌で仕方なかったです。そんなところに入れた両親を憎みました。何日も泣いて暴れました。ご飯も喉を通らなくて、脱出することばかり考えていました。ヘッドギアの変なおじいさんが付きまとってきて、他にも独り言言う人や、徘徊してるみたくウロウロと廊下を歩く人、変な踊りをしている人、宗教的な話をする人、トイレで隠れタバコを吸う人、あーぁ、そういや、その年はここで誕生日を迎えたっけ。でも居たくなくて、掲示板に買い物の日、カラオケの日、私はどこかのスーパーか何かに必要品を買いに行くのかと思ってたら院内の売店。そしてカラオケとは院内のOT室へカラオケの機会があってそこでみんなで歌うことだった。それは知らんかったよ。そして何度かの朝を迎えていつしか私はそこに溶けんでいるのが哀しかったりそれはもう複雑で。パイプベッド上から空をただ見ているだけの日々。相変わらずヒステリー持ちの青木さんが5分おきに喚き出す。鍵を閉めて
もらわないと落ち着かず看護師さんが閉める。その5分後には開けてと喚く。その繰り返し。
いつか元気になったら、もうここを出よう。何度目かの朝で開放病棟へ。でもハサミで手首を切ろうとしたり、階段から飛び降りようとしてまた閉鎖病棟へ送り返される。そしてまた年明けに落ち着いたので開放病棟へ。そこで境界性人格障害のはるか(仮名)に出会う。冷たい眼差しの彼女は大人びていて、私と音楽の趣味が一緒だということで盛り上がった。同じV系が好きということで
。そしてムックやRaphael、cali≠gariの話をした。はるかがcali≠gariのMDをくれたのでお返しに山崎ハコのMDをあげたら冷めた目で喜んでいた。いつか一緒にライブに行く約束もした。その頃、症状が落ち着いてきたので、退院の話が出始める。ある夜、眠れず部屋を出るといつも緑の集いが朝あっていて、そこでいつも僕が福大経済学部にいた頃と話す男がタバコをふかしていた。そして私の知らない性的な話をされ、暴行を受ける。夜勤の看護師に見つかり頭を叩かれる。あなたたち、一体何をしてるのと。そして次の日親が呼ばれる。お宅の娘さんをこれ以上預けて置けないと言われる。そして病棟の主任さんからポスピタリズムになる前に退院した方がいいよと言われる。気付いたらはるかはいなかった(退院していた)母がはるかを嫌っていた。あの子はあんたとは違うと。はるかは父親に性的暴行を受けていた。考えも同い年には見えなくて、どこかいつも冷めた目をしていた。開放病棟に後で来た真理ちゃんがある夜わあわあ泣いていた。外泊をしたら父親に真理が死んだらお父さん喜ぶぞ、真理万歳ってと言われたと泣いていた。真理ちゃんは中学も行っていない妹がいた。真理ちゃん自身も高校を中退していて、簡単な漢字も書けない子だった。私は真理ちゃんとはるかはちょっと違うなと思った。真理ちゃんよりはるかの方が危ないと思っていた。真理ちゃんは年の割はには幼かった。いつも男の人を求めていた。お兄さんと慕う人といつも一緒にだった。真理ちゃんは今はどうしているか分からない。はるかとは1度、ライブに一緒に行ったが、その後関東に行ったらしい。
そして夢も希望も将来も分からないまま退院する。私、21の春。もうここは私の居場所ではないと思った。退院前、最後にみんなで買い物へ連れて行ってもらった。ショッピングモールへバスで行った。気に入ったテーブルを買う。みんなでミスドでお昼を食べて帰ってきた。精神科の人が街や店を歩いていると変な目で見られることに気付いた。ヘッドギアしたり、震えたり、落ち着かなかったり、独り言言ったりしてるから。そりゃそうだよね。中にはもう身寄りのない人もいた。順子さんは11年いると言っていた。でも少し親しくなった頃、あたしさ、ここ出るの。もう11年いたけどさと言い残して消えてしまった。何故かあの頃どうしようもない私がこの映画に重なってさ。不思議感覚を覚えました。この映画に私も居た場所と仲間を思い出します。
あるあるもあってさ。
①カラオケ大会やイベントがあるとはりきる人がいる。ここ1番というオシャレで参加する人。
②ラジオ体操が毎朝ある。
③習字や生け花やソフトボールや卓球、ゲートボールなどのOTがある。
④見栄っ張りがいる。お前の下手くそな歌聞いてられっかって言う人。
⑤必ずいる淋しがりのおばさん。
⑥叫んだり、妄想の中にいる人、ぺたぺた倒れる人、宗教や妄想を言って○○にとりつかれていると言う人。
⑦お水や用意されたお茶を何度も飲む人(水中毒)
⑧嫌味を言うおばさん。若いのに甘えてんじゃないよみたいに言う人。
⑨自傷行為のある人。幻聴のある人。
⑩最後にみんなおかしい人、事情を抱えてない人はいないということ。
これが私の初めての精神科で出会った人。みんなおかしくてみんなバカな人が多かった。でもみんな優しかった。
あの時のどうしようもない私の居場所、それが20歳の閉鎖病棟だった。保護室にも幻聴で暴れて1週間入った。まるでこの映画のように。
それぞれの朝。コロナ禍で家にいると思い出してみんなに会いたくなった。みんなでバカやったり懐かしいけどもう私の居場所じゃない。それを教えてくれる映画でした。みんな優しかった。ただそれだけは言える。何度目かの転院や入退院を繰り返しながら、それぞれの場所で悔恨と失意の果てにいた。私は入退院を繰り返してようやく気付いた。私が医者に最後に言われた病名、それははるかと同じだった。自傷行為がやめられなくて、口を開けば死にますだった。青木ケ原樹海に行きたい、そこで死にたいとよく言っていた。境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害)そしてアスペルガー(発達障害)今は少し私にはHSPがあることも。それではおやすみなさい。
🌷ゆりのはなこ🌷
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